2017年6月18日 塩山宗満
マタイによる福音書 6章5-13節 (新約 9ページ)
祈りとは、神様との対話だと言われます。また心を開いてイエス様を迎え入れることだと言います。ルカ11章をみると、弟子たちはイエス様に祈ることを教えてほしいと願って「主の祈り」を教えられています。私も牧師になって祈ることを改めて教えられました。教会員の皆さんやその家族のこと、訪ねてこられた方のこと、全国の教会の仲間のこと、かかわりを持っている委員会のこと、日本の歩み、世界のもろもろのことなど、たくさんの方々から祈ってくださいと連絡を受けるので、祈るようになりました。
祈りは、言葉数は少なくても良いのです。「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。(8節b)」と言われています。祈りとは、心を開いて主イエスをお迎えすることです。神のほうから先に私たちの心の扉をたたいて、私たちを動かし、祈らせてくださるのです。
また、祈りとは魂の呼吸とも言われます。息を吸ったり吐いたりするときは特に努力しなくても、私たちは自然に行っています。祈りはそのように自然なものなのだ、といわれます。主の恵みは私たちの周りに満ちていますから、私たちがすべきことは、心の扉を開くだけで良いのです。祈りとは、祈りの言葉が出てくる前に、心の中に生じるもの、そして祈った言葉が私たちの心の中に留まりつづけるのです。
祈りは、神様との対話であり、心を開いてイエス様を迎え入れることなのですから、わたしたちは心に与えられたことを繰り返し祈ります。悲しみや、苦しみがあっても、試練があってもご一緒に教会の祈りである「主の祈り」を祈り続けましょう。