2017年6月25日 塩山宗満
マタイによる福音書 6章9-13節 (新約 9ページ)
12節の祈りは「過去」に犯した罪、負い目のことを取り上げています。神の前に立つにはまったく不十分な私たちが父なる神に「負い目を赦してください」と祈りなさいとイエス様は言われるのです。この負い目という言葉はお金に関連した言葉、借金のことなのですが、ヘブライ語やアラム語の世界ではそれをもっと精神的な意味、罪というかたちでも使うことがありました。そこで、明治訳では「われらに罪を犯すものをわれらが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。」と訳しています。
一つの問題は、訳しかたとして前半と後半の順序のことがあり、新共同訳では「わたしたちの負い目を赦してください」が先に来ています。新改訳ではもっと徹底して、二つの文章に分けてつながりを完全に切ってしまっています。「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」
自分に対してなされた他人の過ちをゆるすことは難しいものです。交わりを深めようとする中で、互いに過ちを経験し、それには痛みが伴います。でもイエス様は赦しあいながら交わりを作り出しなさいと言っておられるのです。
もし私たちがある人を赦せなかったらどうでしょう。相手に対する憎しみや復讐の念で一杯の人生になったとすると、これもつらい毎日になるのではないでしょうか。私たちが神に赦されていることを実感し、そしてわたしたちも赦していく、その中で神からの平安をいただいていく、そのような歩みをするように祈りなさい、とイエス様は祈らせてくださっています。そのように祈りながら毎日を歩んでまいりましょう。