2017年8月27日 塩山宗満
マタイによる福音書 8章14-22節 (新約 13ページ)
一人の律法学者が、心からの尊敬の念を持って「あなたがおいでになるところなら、どこへでもまいります」と語りかけます。その熱心な人に対して、イエス様は冷静にお答えになります。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。(8:20)」
「わたしにはこの地上に休むところがない。わたしについてくるのであれば、あなた方にも休むところがなくなるだろう、それを覚悟しているのか」と問われます。イエスさまは、あの、動物たちでさえ持っている、ねぐら、ゆっくりと休ませてくれる家庭とか、故郷を持とうとはされませんでした。イエス様の地上での歩みは、貧しい人や、病気の人、苦しんでいる人の間で過ごされる旅人であり、休みのない働き人でした。これが、私たち人間のために生きていかれたイエス様のこの世での姿なのです。そして、あなたたちもそのような生き方に耐えられるか、と「弟子の覚悟」を問うておられるのです。
わたしたちが弟子になってイエス様に従うと言うことは、イエス様を信頼して自分の生涯をかけること、イエス様の経験された苦しみを自分も味わう歩みをすることなので、決断しなければなりません。自分を主イエスに明け渡す覚悟がなければ弟子としてはふさわしくないと言われるのです。
人生には苦しいこと、困ったことがたくさんありますが、それを乗り越えていくためには神からのみ言葉が必要で、それがこの町の人たちに届くようお祈りをせざるを得ません。そのために私たちを用いてください、と願いながらこの教会での信仰生活を続けていこうではありませんか。