2017年9月24日 塩山宗満
マタイによる福音書 9章18-26節 (新約 16ページ)
長年、病に苦しんでいた女性を「あなたの信仰があなたを救った」といって癒され、会堂司の娘の手を取って立ち上がらせたイエス様の業はわたしたちを驚かせると同時に、やはりそうしてくださった、と安心感も与えてくれます。
この女性は、苦しみ続けていた時に、イエス様のことを「聞き」ました。誰かが彼女にイエス様のことを教えたのです。会堂司も同じようにイエス様のことをきいて、やってきました。教会はこの宣べ伝える働きをずっと担ってきました。
そして、この女性はイエス様の衣にふれるという「行動」を取り、会堂司はイエス様の所へ駆け込みました。私たちが病気や、いろんな出来事で苦しみ、痛み、どうしてよいかわからずにいるときに、心を少しでもイエス様のほうへ向けて祈れば、イエス様はそれを聞いてくださって、安心していきなさい、と言ってくださるのです。私たちとりまく問題は一つではないかもしれません。また、この女性のように問題がすんなりと解決してしまわないかもしれません。でも神様に信頼して、イエス様を救い主として信じて歩みをはじめると、一見状況が変わらないように見えるところでも、問題の根が一つずつ解決して事柄がほぐれてくるのです。
主よ、信じますと信仰告白をすることで神と人との前に自分の立場をはっきりさせましょう。イエス様はそれを省みてくださり、私たちを解放してくださいます。そしてこの女性がイエス様のことを誰かから聞いたように、私たちもみ言葉の広がりを願って働いていくのです。主イエスを信じ、主イエスにお任せして私たちの人生を歩んでいきましょう。