2017年10月22日 塩山宗満
ヨブ記 38章1-11節 (旧約 826ページ)
神はヨブからの問いかけに答えることをせず、逆にヨブに問いかけられます。問いかけることによって、神は問いかける対象ではなく、全地の造り主、支配者であって、ヨブが信ずべき神であることを示されました。神はヨブの苦しみや嘆きに立ち入らず、苦難の理由などをいちいち説明されません。どんな説明があったとしても苦しみの中にあるヨブに力を与えることはできず、ヨブはどんな説明にも納得せず、更に神に反論していったのではないでしょうか。
「わたしが大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。知っていたというなら、理解していることを言ってみよ。誰がその広がりを定めたかを知っているのか。誰がその上に測り縄を張ったのか。基の柱はどこに沈められたのか。誰が隅の親石を置いたのか。(38:4-6)」この世界は神という建築師が綿密な計画を立て、寸法を測って準備し、柱を据えた建築物なのです。隅の親石と言われる基礎をしっかり据え、その上に神は世界を創られたのです。そのことを、ヨブよいささかでも知っているか、いくら人間が頭を使って考えても、神が始められたこの業のことを知ることはとてもできないのだ、ヨブも被造物の一人ではないか、と問うておられます。
わたしたちが、神がどのような方であるかを知るには、イエス様がこの地上にこられるときまで待たなければなりません。まもなくイエス様がこの世に来られたクリスマスの時が近づいてきます。幸いわたしたちは福音書を与えられていますから、日々イエス様の福音に触れ、主のご生涯をたどりつつ、イエス様を信じて歩む生活を送っていきたいと願います。