2017年11月19日 塩山宗満
マタイによる福音書 13章31-33、44-49a節 (新約 25ページ)
自分の持っている信仰を他の人に伝えることは、そんなに簡単なことではありません。いろいろ説明した後で「聖霊の導きによって、あふれるような喜びが与えられ、主イエスを救い主と信じました。」というような表現になってしまいます。イエス様はそのむずかしいところをたとえを用いて語っておられます。
ここに記されている5つのたとえを見ていくと、天の国は隠されているようなので、どうやって見つけ出せば良いのでしょう。どうも天の国とは特別なところではなく、誰もがいつも目にしているところに隠されているようです。イエス様は天の国のことを語るのに畑の農夫や、パンを焼く女性、魚を捕り、より分ける漁師などを用いられました。天の国のありかはわたしたちの日常生活の中にある、普通の人と場所と働きの中にあるということをイエス様はわたしたちに伝えようとされたのです。ですから、天の国をわたしたちは日常の生活をしっかり送っていくなかで見つけられるのではないでしょうか。そして、人々を元気づけ、慰め、命を輝かせようとしておられたイエス様の思いをきちんと伝えることができるのではないでしょうか。
イエス様が蒔いてくださった福音の種、ほんの小さなからし種がここ茂原にも実っています。わたしたちは実った種、福音をそれぞれの時代に合った方法でいろいろなところに、いろいろな人々に届けなければなりません。届けて、あとは神の働きを待つのです。どのような人たちに届けていけばよいのか、どのような届ける方法があるか、みんなで考えて、その福音を届ける働きをご一緒に進めていきましょう。