2017年12月3日 塩山宗満
イザヤ書 55章1-7節 (旧約 1152ページ)
第二イザヤと呼ばれる預言者はイザヤ書40章から55章まで預言をしていく中で、神が人々をバビロンから救い出し、エルサレムへ帰ってくることができる、と言うメッセージを繰り返し語ってきました。そしてこの最後の部分で、ただ帰ってくるだけではなく、神の救いと祝福が待っていて、あなたたちはそこで活き活きと生きていくことができるのだ、と語るのです。
今日のイザヤ書の言葉はイエス様の福音書の言葉に繋がっているところがたくさんあります。「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。(55:1)」はヨハネ4:14「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」を思い出させます。
「耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい(55:3)」はマタイ11:28 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」とのイエス様の言葉と繋がっています。「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに(55:6)」はマタイ 7:7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」へ展開していきます。
イザヤ書55章の今日の聖書はイエス様の言葉の元ともなっているようです。イエス様が語られたことは神のご意志なので、旧約聖書の中にもたくさん記されています。イエス様のご誕生を待ち望むこの時に、主なる神がどのような思いで人々を愛し語られたかを確かめることができるのです。今日はその中のこの言葉を覚えましょう。「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに(55:6)」