2018年4月1日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 20章1-10節 (新約 209ページ)
弟子たちがイエス様の復活を語り始めたその最初から、世の人たちは「人が甦るなんて、そんな馬鹿な」と「キリストの復活」のことを受け付けませんでした。
福音書が語る復活の出来事は、墓が空(から)であったこと、弟子たちが復活された主にお目にかかったこと、この二つだけなのです。 この主の復活の出来事がなければ、主の十字架を前に逃げ回っていた弟子たち、主イエスを三度も知らない、と言ったペトロ、指を主のわき腹につっこんでみなければ信じないと言ったトマス、またキリスト教を迫害していたパウロが向きを変えて、キリストを伝える働きに向かい、教会を建てあげ、そして殉教して死んでいくまでになったことの説明がつかないのです。
残された弟子たちにこのイエス様の働きを伝えなければ、という思いが起こされ、使徒言行録に記されているように、教会が建て上げられ、それから2000年もの間この良い知らせ、福音が教会を通して世界中に宣べ伝え続けられました。
イエス様はこの私にも15歳の時に語りかけてくださり、私はイエス様を私の救い主と信じてバプテスマを受け、キリスト者になりました。それから60年間主はずっと私と共に歩んでくださいました。そしてそのことは、ここにおられる多くの方たちも同じでしょう。どなたにお願いしても、復活された主イエスが皆さんの中に生きておられ、命を与え続けておられることを証ししてくださるでしょう。今日は主イエスのよみがえりを覚えて、喜びましょう。そして、わたしたちが喜ぶだけでなく、その喜びが広がっていくように祈り、働き、語っていこうではありませんか。