2018年7月1日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 2章1-11節
「イエスは母に言われた、「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」。(2:4)」
イエスという方は、その生涯を通じて、ご自分が明確な目的と使命を持って世に来た、ということ自覚しておられました。それは、神のみ旨をこの世に伝える、と言うことでした。ですから、イエス様の時とは父なる神がそうしなさいと言われた時のことなのです。イエス様が十字架の上で死んで、愛の業を成し遂げ、復活して父なる神のもとに帰り栄光をお受けになる時のことです。その時はまだ来ていません。
かめの水がぶどう酒に変わったというこの話自体桁外れのことを言っています。100リットルのかめ6つとはいまのぶどう酒のビンで言うと1000本ぐらいになりますから、いくらなんでもそんなにたくさんのぶどう酒を飲めるわけがありません。そういう目で見てみると、このお話が語っていることは、イエス様があふれるほどの恵みをこの家に残していかれたことを象徴的に語っているのです。そして、このような恵みの出来事はガリラヤのカナで一度起こっただけではありません。この後、イエス様が出かけられるところでは何度も何度も起こったのです。イエス様に出会うと、水がぶどう酒に変わるような変化が人々に起こってくるのです。そして、この時から2000年経った後の今のわたしたちもそういう経験をしているのではないでしょうか。ここにおられる皆さんお一人お一人にイエス様と出会ってどんなことが起きたかをお尋ねすれば、水がぶどう酒に変わったようなあふれる恵みを頂いていることを皆さんが証ししてくださることでしょう。