2018年11月4日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 11章1-16節 (新約188ページ)
わたしたちの前に横たわっている死と言う暗闇に対して、イエス様ははっきりと「わたしを信じるものは死に打ち勝つことができる」と教えてくださいました。人々を悲しみに追い込むその暗闇にイエス様が光をもたらしてくださったのです。この後、イエス様が十字架にお掛りになり復活して神の右に座られたときにわたしたちの暗闇は真の意味で取り除かれ、死を乗り越えることができるのです。
命あるものとして神に作られた私たちは死すべき体を持っています。聖書は人間が創造者である神を忘れて、神のように振る舞ってしまうところに罪があることを繰り返し語ります。人はそのために死に対して非常な不安とおそれを持っています。神はその不安やおそれを乗り越えさせるためにこの世界に御子イエス・キリストを送ってくださいました。
わたしたちも時が来て自らの死に直面するときには、全能の神に全てをゆだね、地上の生から神の命へ移される厳粛なときと理解して良いのです。信仰を持った人の現実の生活は信仰によって生きてはいるのですが、苦しみ、痛み、悲しみは残されています。でも、主イエスの生涯を見て、その苦難の歩みを学んだら、私たちの苦しみはなお小さいものではないでしょうか。そして私達の行きつく先はすでに決定済みです。私たちは希望を持って、私たちに与えられた人生の歩みを「主よ、信じます」といいながら、歩んでいくことが出来、死に直面したときも苦しみに出会ったときも、希望を持って乗り越えていくことが出来るのです。主に備えられた生涯をご一緒に歩んでまいりましょう。