2018年11月18日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 12章20-26節 (新約192ページ)
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。(12:25)」麦の種は倉庫に保管されたままでは何の役にもたたないけれども、自分の命を捨てて蒔かれたときに初めて、たくさんの実を結ぶことができるのです。種がまるで墓に入れられるように冷たい土に埋められる事によって、芽が出て実を結びます。
イエス様がご自分の命を私たちのために捨てて、死んでくださってそしてそのことによって私たちを始め多くの人たちが生きることができるようになることをこの言葉は言っています。この聖句は、十字架につけられるイエス様を見上げ、信じて、その導きに従って、その苦しみに従って生きていくこと、それがイエス様にお会いすることの本当の意味なのだとこの聖書は言っています。
そのことを知った私たちは、自分勝手に生きることができなくなってしまいました。私たちもまず、神の国と神の義を求めて生きて行かざるを得なくなったのです。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい(マルコ1:15)」と言われたイエス様の言葉を心に留めながら生きていくのです。
主イエスを救い主と信じ、私たちのために命を捨ててくださったイエス様に従って、与えられた人生を歩んでいこうではありませんか。時にはその歩みは痛みを伴うでしょうし、苦しみもあるでしょう。でも永遠の命にいたる、というイエス様の約束を信じて、喜びを持って歩んでまいりましょう。