2018年12月2日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 1章19-34節 (新約163ページ)
バプテスマのヨハネは、自分をイザヤが預言した「わたしは荒れ野で『主の道をまっすぐにせよ』と。叫ぶ声である。」と語ります。主イエスを指し示すことによって、ヨハネは人々の前に道を備える働きをしました。イエス様が来られれば、わたしたちには見えなかったものが見えるようになり、弱っていたわたしたちに力が与えられ、わたしたちは生き生きと生きていくことができるようになるのです。
「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。(中略)わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。(1:32、34)」ヨハネはイエス様に出会い、聖霊に導かれて「この方こそ神の子である」と証ししています。わたしたちも聖霊に導かれて「この方こそ神の子である」と証ししていきましょう。待降節、アドベントとは飼い葉桶に寝かされた赤ちゃんの誕生を祝うと同時に、イエス様のその後の生涯を思い起こし、主よ来てくださいと願う時です。待降節は、まずわたしたちの内に「主よ、来てください」と待つときです。
わたしたちはこの地域の人たちも、クリスマスの良いときに賛美歌を歌ったり、聖書を読んだりして、イエス様がこの世に来られたことの意味を考えて欲しいと願っています。12月23日のクリスマス礼拝と愛餐会、24日のイブ礼拝を一人でも多くの方とともに迎えることができるようにお祈りください。チラシができました。今週からチラシ配りも始めますのでご協力ください。一人でも多くの人たちがイエス様に出会うように、祈り、働き、待ちましょう。