2019年3月3日 塩山宗満
ガラテヤの信徒への手紙 4章8-20節 (新約 347ページ)
「しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。(4:9)」パウロは宣教によってガラテヤの人たちが神を知るようになったことをもう一度ここに思い起こさせています。しかも自分たちが神を知るようになったということではなく「むしろ神に知られている」と言いなおして、神からのめぐみによって豊かな関係が作られていることを強調しています。それなのに「なぜ」とガラテヤの人たちの愚かさに憤っています。
「いろいろな日、月、時節、年などを守っています。」とは、一つはガラテヤ地方にあったその土地の神々をまつる、偶像礼拝の習慣が戻ってきたのでしょう。もう一つはキリストへの信仰によって自由になったはずのガラテヤ教会の人たちが、ユダヤ教の習慣を強要され、割礼を始めとする習慣や、食べ物の規定、安息日規定などを守るように強制されたことを言っています。
わたしたちはキリスト者の務めとして、主日礼拝を守ろう、月約献金をしよう、個人的な祈りの時を持とうと勧めていますが、これはただ規定を守ると言うことではなく、そのことが主なる神との深い交わりを持つ喜びの時であってほしいのです。
私たちは先ほど主の晩餐にあずかりました。この主の晩餐は、神が語調を変えてわたしたちに語りかけてくださっているのです。私たちはこの晩餐を通して、わたしたちの内にキリストが形づくられることを信じ、与えられた日々を歩んでまいりたいと願います。