2019年5月26日 塩山宗満
ルカによる福音書 4章38-44節 (新約 109ページ)
「しかし、イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」そして、ユダヤの諸会堂に行って宣教された。(4:43-44)」 カファルナウムで、またガリラヤの町や村でイエス様がしたことの一つは病を癒し悪霊を追い出すという人々が今困っている課題を解決されました。同時に、福音を信じなさい、と言う宣教をされました。人々を愛するイエス様にとって、どちらも大切な事柄でした。
日本で神の言葉がなかなかひろがらないのはなぜだろう、それには幾つかの壁があるのではないかと言われます。
ひとつは、送り手側の内なる壁で、教会が、それは牧師や信徒が伝えるべきメッセージをしっかり持っているか、ということです。聖書をよく読んで、聖書が語っていることを自分自身に語られている神の言葉として聴き・信じることでしょう。もう一つの壁は、社会の状況に無頓着ではないかということです。社会の現状を無視して教会が自分たちだけが分かる言葉で一方的に語っても人々は聞いてくれないでしょう。
また今の日本で、宗教と言うだけでもう耳をふさいでしまう人たちがいます。イエス様の話をしようとすると「いえいえ、結構です」と言われてしまいます。これらの壁を壊すにはどうしたらよいでしょうか。教会は世が求めていることに福音をもって的確に応えていく準備をしておかなければならないと思わされています。
わたしたちの教会がこの六ツ野の地に建てられた意味を考え、なすべきことを捜していきたいと願います。ご一緒にこの福音宣教の働きを進めていきましょう。