2019年6月16日 塩山宗満
ルカによる福音書 5章17-26節 (新約 110ページ)
「イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。(5:20)」この人を運び込んだ人たちは誰だったのでしょうか。家族か、親しい友人だったかもしれません。この人の信仰ではなく、連れてきた人たちの、彼をぜひイエス様に会わせたいという願いを見て、イエス様はそれを「信仰だ」といわれました。そして中風の人の罪を赦されたのです。
信仰は個人のものですが、また教会という群れのものでもあります。私たちは一人一人が神の前に決断をして信仰に導かれていきますが、それは同時に教会という群れに加えられ、その交わりの中で成長させられていくということです。その交わりがこの中風の人のつらさを自分のつらさとして受け止め、彼をイエス様のところへ連れて行こうとしました。その思いを、イエス様は信仰として捕らえられたのです。
この中風の人はどんなにうれしかったでしょう。イエスさまが罪を赦してくださったのですから。病気がいやされた以上に、周りの人たちからの偏見や差別から解放されていくことがわかって、そのことがとてもうれしかったのではないでしょうか。それから、彼を連れてきた4人のことを考えてみましょう。イエスさまは彼らの家族か友が動けないその人を連れてくる熱心さを見て信仰だ、といわれました。
先週は花の日で、何人かの方たちが教会のお出でになっていない、お出でになれない方たちを訪ねてくださいました。そしていろいろな出会いがあり、訪ねていった皆さんにも、いろいろな思いが与えられました。年に一度ではなくもっと出かけたいという人もいます。うれしいことです。