2019年10月13日 塩山宗満
詩編 146編1-10節 (旧約 986ページ)
詩編には「いかに幸いなことか」という言葉が何度も出てきます。そしてその根底には神がこの天地を創られた、ということがあるのです。目に見えない神が人の助けとなり、希望であるのは神が天地と海と、万物を造り、その上でこの造られた世界を動かし、その世界を活かしておられる神だと言うことが信頼の元になっているのです。
「とこしえにまことを守られる主は(6b)」どのような方か、具体的に行ってくださっていることは何か、それが7-8節に記されています。ここには社会の隅に追いやられている人たち、貧富の差が大きく、貧しさの底に生きざるを得ない人たち、社会の不正に押し込まれて不自由な生き方をせざるを得ない人たち、障がいを持って生きている人たちを力づける神の姿が描かれています。旧約聖書の信仰者たちはここに神のまことが現れているのだ、と言うのです。
このような主、ヤーウェが全世界の王であることをうたってこの詩はまとめられています。とこしえにまことを守られる主はとこしえに王であられるのです。そして、最後に「ハレルヤ」と主を賛美してこの詩を締めくくっています。
この詩が語っていることは次のようなことでしょう。「人間は神に造られ、神がその命を取り去られる小さな存在である。けれども、その小さな存在である人間を、特に弱い立場にある人間を神は真実をもって守ってくださるのだ。そのような主、ヤーウェを賛美しよう。ハレルヤ。」
わたしたちもこの詩編の作者のように様々なしがらみから、苦しみ、痛みから解放され、自由に生きる喜びを神から戴きたいと願います。