2019年11月17日 塩山宗満
ルカによる福音書 9章46-48節 (新約 124ページ)
「弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。(9:46)」どうしてこんな議論になったのでしょう。それは、弟子たちが他のユダヤ人たちと同じようにイエス様の本当の使命を理解しておらず、メシア、キリストがこの地上に王国を再建するのだと思っていて、その時の自分の地位がどうなるのか心配だったのです。弟子たちが、イエス様が少し前に繰り返し語っておられるご自分の受難と復活のことを理解せず、誰が一番偉いかなどということで議論していたことに心を痛めておられたのです。
そこで、イエス様は一人のこどもの手を取って言われます。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。(9:48)」
子供、幼子とはどんな存在でしょう。子供はなんといっても両親や周りの人たちを頼って、信頼して生きてかなければならないでしょう。幼子は人々の助けが必要な存在、自分のために何かをしてもらわないと生きていけない存在です。私たちも幼子のように神に信頼、お任せする生き方が大切なのです。ここでイエス様は、イエス様の名のゆえに、幼子のように助けが必要な存在である小さな者たち一人一人を受け入れるならば、その人はイエス様を歓迎し、受け入れているのだ、そしてそのことが主イエスをお遣わしになった方、父なる神を受け入れるのだ、と言われているのです。
「あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」という主の言葉を真剣に考え生きていきましょう。