2020年8月2日 塩山宗満
コリントの信徒への手紙一 11章23-26節(新約 313ページ)
主の晩餐を分かち合うことによって、わたしたちはわたしたちが神の民となった新しい契約を思い出します。主イエスの死が、他の人たちのためであることを思い起こし、多くの人たちがこの契約に加わるよう、教会は働き続けるのです。
パウロは最後に語ります。「 だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。(11:26)」主の晩餐式はイエス様の十字架上での死と復活を覚え、そのときからイエス様が再びこの世に来られる終わりの日までの間をしっかり生きるよう勧めているのです。
この晩餐式には誰が出席するのでしょうか。バプテスト教会の中で中心となっている考え方は、バプテストに限らず、どこの教会の会員であっても主イエスを救い主と信じ、父と子と聖霊の御名によるバプテスマを受けていれば、だれでもこの主の晩餐にあずかることができる、と言うものです。私たちの教会の信仰がバプテスト教会だけでなく世界のあらゆる主を信じる群れと連帯していることを示しています。私たち、茂原バプテスト教会も「主イエスを救い主と信じバプテスマを受けていればどの教会に属しておられてもこの主の晩餐式にあずかっていただきたい、ただ、まだバプテスマ・洗礼を受けておられない方はその日が一日も早くくるよう共に祈り願って、しばらくお待ちください」というお願いをしています。
どうぞこの「主の晩餐式」に共に与ることを大切にし、キリストにつながる一つの体としての歩みができるよう願いましょう。主イエスが共にいて下さると約束してくださっているのですから。