2020年8月16日 塩山宗満
コリントの信徒への手紙一 14章20-25節(新約 318ページ)
異言と預言のことについて、パウロはこれまでは、コリント教会内の人たちの事を語ってきましたが、23-25節では特に未信者、求道中の人たちの受け取り方について語っています。教会全体が一緒に集まって皆が異言を語っているところへ、信者でない人が入ってきたら、誰も理解できないことばを発しているのですから、「この人たちは気が変だ」と言いかねない、というのです。一方預言は神の言葉、悔い改めを求める言葉ですからそれを聞いた人たちが罪を自覚し、神に出会ったことを悟らせるという働きをするのです。このみ言葉は聞く人々に罪を自覚させるだけでなく、その罪から神が解き放ってくださることを恵みとして受け取ることができるのです。
14章を通して繰り返し語られている言葉は「造り上げる」で、この章の一大関心事は教会を造り上げる、ということです。教会の礼拝への参加者一人一人が、自分の満足を追求するのではなく、教会を造り上げる事に加わっている姿を描いています。
預言とは、神の言葉を預かり語ることですから、教会で語られる宣教の御言葉を中心に、教会学校で皆さんが解釈する聖書の言葉、礼拝後の交わりの会話の中で語られる証し、これら教会で語られる全てを預言と言って良いのではないでしょうか。わたしたちの語る一言一言が、新しく教会に来られる方々が神を告白するきっかけとなるように願っていきましょう。わたしたちは主に願って、霊の賜物を戴き、教会をその賜物で満たし「まことに、神はあなたがたの内におられます」と、集う方々が告白するよう祈って参りましょう。