2020年10月11日 塩山宗満
コヘレトの言葉 3章1-17節(旧約 1036ページ)
「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。(3:1)」
わたしたちは通常、普通に流れる時間、クロノスの時を生きています。過去、現在、未来と連続して流れている時で、取り戻すことはできません。そんなわたしたちが生きていく中で、神が介入してこられる不思議な時、カイロスの時があるのです。皆さんもああ、ここで主なる神に出会って、人生の方向転換がされた、というときがあるのではないでしょうか。コヘレトの著者はそのような神が介入される時がいろいろあるのだ、と人生の様々な折に出会うことがらを語ります。先ほど読んだ1-8節に書かれている様々な時が、ただの時の流れではなく、神が介入される時、なのです。
コヘレトの言葉はまず「空」、「空しい」、「束の間」という言葉が象徴するように、人生は短いもので、限られていることを知らせてくれます。そして、それが神の定められた時の中にあると気がつくと日常の小さなことが「神の恵み」だと気がつくのではないでしょうか。わたしたちが時の流れの中で起きてくるいろいろなことが、神が起こしてくださる時、カイロスなのだと気がついていきます。
わたしたちは、自分の人生を一生懸命生きようとしても、自分の思いにそぐわないことが起こったり、変化する社会情勢に右往左往させられたりします。道が分からなくなる時もあるでしょう、間違ってしまうこともあるでしょう。けれども神は、語りかけ、寄り添って歩んでくださいます。決して、見捨てず、待ってくださるのです。神に与えられた時を大事に生きていこうではありませんか。