2021年10月24日 三羽善次
ローマの信徒への手紙 3章21-31節 (新約 277ページ)
私たちのプロテスタントの教会の暦では、10月の最終日曜は、宗教改革記念日の礼拝となっています。宗教改革は、マルティン・ルターが当時のカトリック教会に対してその聖書理解、信仰の在り方に対して抗議、つまりプロテストしたことに始まります。プロテスタントという言葉は抗議したとう意味です。
ルターは教会の奥に隠すようにして管理された聖書そのものを読んで、これまでのカトリックの教えが聖書の語っていることと違っているのを発見したのです。これを福音の再発見と呼ばれています。この時ルターが読んだ聖書の一つが、今朝読みましたローマの信徒の手紙のこのところです。「ところが今や、律法とは関係なく、神の義が示されました」「神の恵みによって無償で義とされるのです」ルターはこれらの聖書の言葉から次の三つの言葉にまとめました。
「聖書のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」の三つののみです。宗教改革が、私たちに教えてくれることは、生活の改革ということです。
わたしたち手を伸ばして求めているのですが、聖書は逆のことを私たちに語ります。詩編23編の最後の節にこう言われています。「命のある限り恵みと慈しみは、いつも私を追う」。幸せは自分で追いかけのではなく神を信じる者には、神様の恵みや慈しみが後ろから追ってくるというのです。
万人祭司も宗教改革から生まれました。これは要するに私たち信仰者が活きた信仰を証を生活の中でしていくことに他なりません。聖書の知識ではなく活きた神の恵みに生かされていることを身をもって証しする事が人を信仰へと導き伝道していることになるのです。信仰、聖書、恵み、ここにしっかり立ってキリストに生きる者の証しを共に立てていきましょう。