召天者記念礼拝 2021年11月7日 塩山宗満
コリントの信徒への手紙二 4章16節-5章1節 (新約 329ページ)
「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。(5:1)」地上の住処である幕屋が滅びる、というのは、私たちの地上での生命の終わりを語っています。わたしたちは死を迎えると、日本ではたいていの場合、火葬され、骨になって帰ってきます。その骨をわたしたちは墓地やここにある納骨室に納め、亡くなった人の生き方と信仰を思い起こす場所とします。
パウロはここで、私たちのこの体がなくなるときに、神によって建物が備えられている、と語ります。私たちはいまそれぞれに、活動しながら・働きながら・学びながら、楽しみながら、生活しています。死が訪れると、それができなくなるのは確かです。それは、つらいさびしいことです。でも、神によって建物が備えられていることが分ると死のあとに大きな希望が与えられます。天国とか、神の国と言われるところは神がおられ、神が支配をしておられるところです。パウロはこの世での体のことを幕屋と言っていますが、これは一時的なものです。仮住まいから永久の住処に移ることになるのですからこれは喜びです。
ここに、先に天に召されていった方たちの写真が並んでいます。私たちはこのように、信仰の先輩たちに囲まれて、この世での歩みを進めているのです。私たちも見えるものにではなく、見えないものに目を注いで、神が示されるときが来るまで、ご一緒に神の国のために働いて行こうではありませんか。