2022年2月6日 塩山宗満
使徒言行録 3章11-20節 (新約 218ページ)
Youtubeを中心とした礼拝が続いています。オミクロン株と言われる変異種が広がっていて、まだ収まっていません。しばらく我慢してこの形で教会の働きを進めていきましょう。今年度の歩みを振り返り、来年度の方向を決める総会を3/20に予定していますが、そのための皆さんのご意見をアンケートで伺っています。今日までですが、ぜひご意見をお寄せください。
「だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。(3:19)」ペトロも自分が弱く、間違ったことを知っていました。そこで、自分も主に立ち帰って赦されたたように、その罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい、と勧めます。あの知らずに犯してしまった、救い主を十字架にかけるという罪は到底、赦してはもらえないようなことなのですが、悔い改めて立ち返るならば、神がご計画になった救いにあずかることができるのです。
2000年前のユダヤ人たちや、その後のパウロの伝道で主イエスに出会った多くの異邦人たちが主イエスを救い主と信じることによってこの救いにあずかりました。それから2000年経った今の私たちはどうでしょう。私たちは直接、主イエスを十字架に架ける現場にいたわけではありません。けれども、もし私たちがそこにいたら、救い主を十字架にかけてしまっていたでしょう。わたしたちも、2000年前と同じように悔い改めて立ち帰ることができれば、神は私たちを赦してくださり、私たちは神の愛を身近に感じ、イエス様が共に歩いてくださるという喜びを味わうことができるのです。イエス様はわたしたちの傍らに立ってくださっているのです。