2022年4月3日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 13章1-11節 (新約 194ページ)
「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。」体を洗った者とは、主イエスを救い主と信じて、バプテスマを受けているものという意味もあります。ヨハネ3章でニコデモと対話をされたイエス様は「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。(3:5)」と神の国に入るには、水のバプテスマが必要だと言っておられます。
「主であり、師であるわたしが」足を洗うという僕の仕事をしているのだから、あなたたちもお互いに仕えあい、支えあいなさい、とこの聖書は語るのです。
この足を洗うということは、主イエスとの交わりを持ち、たがいに仕えあうことを確かめる、という意味があるでしょう。そこから考えていくと、わたしたちはこの足を洗う儀式の代わりに、バプテスマを受けた後であっても、罪を犯してしまう私たちが主の晩餐式にあずかることによってそのたびに自分を吟味し、自分の罪を赦していただくことを確かめる、そのようなことをここで述べているのではないでしょうか。
わたしたちは毎日生きていく中で罪を犯してしまいます。それをイエス様が洗ってくださるように、わたしたちも主の晩餐式で悔い改め、イエス様の血と肉とにあずかって自分の罪を思い起こし、赦していただけるよう祈る、そのような機会をイエス様が整えてくださっているのです。
わたしたちは2週間後にイースター、復活祭を祝います。その前に今日はこれから企画・予算総会を行い、2022年度に私たちの教会の歩みを確かめます。お互いに仕え合い、また地域に使える教会となるよう祈りながら総会を迎えましょう。