2022年4月17日 塩山宗満
マタイによる福音書 28章1-10節 (新約 59ページ)
主イエスの弟子たちは主の復活を宣教の中心として、キリスト教会を建て上げ2000年にわたって、語りつづけてきました。
私たちもこの教会ができてから、み言葉をかたり続けています。でも時として絶望の淵に落とされることがあります。思いもしなかった悲しみが襲ってくることがあります。絶望の真っ只中にあったときに、死を打ち破ってよみがえられた主イエスを仰ぎ見ることによって、私たちには希望が与えられます。私たちが苦しむときに、もう既にイエス様が既に苦しんでくださっていることを思い起こしてください。傷や痛みは残るでしょうがそれにまさる喜びと希望に委ねて生涯を歩んでいくことができるのです。
また、私たち主を信じているものには、同じように苦しんでいる人たち、悲しんでいる人たちのところへ出かけていって、その苦しみや悲しみをともに分かち合い、み言葉を分かち合い、イエス様のよみがえりを憶え、喜びのメッセージを分かち合うように、共に歩む働きが託されています。そのような働きを毎日毎日、一歩一歩歩む、そのことが私たちに託されているのです。その道をイエス様に励まされながら皆様とともに歩んで生きたいと願います。私たちも、主イエスの「おはよう」との呼びかけに応えて、喜び勇んで、うれしくて、こうして礼拝に集まり、共に祈り、賛美歌を歌い、み言葉を聞きつづけています。今日は、その主イエスのよみがえりを覚える復活祭礼拝です。ご一緒に喜びましょう。お祝いをしましょう。そして、出かけていって、人々にイエス様の弟子になるように伝え続け、バプテスマへと導きましょう。