2022年6月5日 塩山宗満
使徒言行録 9章1‐19節 (新約 229ページ)
アナニヤが驚きながらも導きのとおりにサウロを捜し出し、彼の頭に手を置いて、祈ると、サウロは「目からうろこのようなものが落ち」また目が見えるようになった、と記されています。この表現は時々聞きますね。広辞苑には「目からうろこが落ちる:あることをきっかけとして、急にものごとの真相や本質が分るようになる。」と記されています。ですから、パウロはここで、もう一度目が見えるようになったのですが、同時に、神を信じることの本質が分かってきたのです。そして、父と、子と、聖霊の名によるバプテスマを受け、食事を取って元気になりました。
サウロは生前のイエス様には出会っていないようです。また生前のイエス様がどのようなことを語られ、どのようなことをされたかはあまり興味がないようです。ただひたすらに、「イエス・キリストの十字架によって私たちの罪は赦され、そのイエスを信じることによって私たちは救いに入れられるのだ、とだけ、繰り返し語っているのです。
サウロは主イエスと意外な出会いをしました。私たちはこんな劇的な出会いではないかもしれませんがそれでも、聖書を通して、イエス様の言葉やされたこと、その生涯の出来事に出会うと感動し、驚かされます。その驚きを持ちつづけ、イエス様から託されたことのために働くものとされていきましょう。
その福音伝達の手段として、わたしたちは教会学校を用いてきました。その教会学校がどんな意義を持ち、どのように用いたらよいかを確認しようと今日、1回目の研修の時を持ちます。どうぞ皆さんも参加して、教会学校の働きについて確かめてください。