2022年6月26日 三羽善次
ペトロの手紙一 1章3‐9節 (新約 428ページ)
「今しばらくの間、いろいろな試練をなやまなければなりません(6節)」と言われていますが、試練というのは当時のローマ帝国からの迫害のことです。初代教会のクリスチャンはローマ皇帝を神と崇めることはできませんでしたから、厳しい迫害を受けました。
私が牧師をしていた和戸教会で、明治のクリスチャンが様々な偏見や差別に苦しんだ実例を記した古文書を多く見ました。その中でも、キリスト教に入信した家庭に不幸があったとき、汚れによってそのような報いを受けたと周りから言われて、苦しんだという例がありました。これは今日でもそういう話はあります。
しかし、病気とか思わぬ事故や亡くなる人が会っても、それをただ不幸として受け取るのではなく、ペトロの手紙にあるように試練として受け止めるとき、わたしたちにとって神によってそのことを解決される道が示されるのです。そのように考えることができるのが、成熟して信仰者の姿です。試練によってわたしたちの信仰は鍛えられていくのです。そうでないと信仰はか弱いものになり、様々な人生の出来事にいつも揺り動かされて振り回されてしまいます。
主イエスとで氏たちがガリラヤ湖で舟に乗っていたとき、突然暴風と荒波に襲われ、弟子たちがあわてふためき、さわぎました。これをみて、あなた方の信仰はどこにあるのか、とたしなめられました。どっしりとした信仰は人生の荒波に右往左往したりしません。私たちの信仰が試練によって鍛えられ強くされ、信仰の実りである、魂の救い、つまり何にも揺るがない、確かな平安をしっかりつかんでいきたいと思います。