2022年9月18日 塩山宗満
使徒言行録 16章6‐10節(新約245ページ)
幻と言えば、旧約聖書箴言29:18に「 幻がなければ民は堕落する。」という言葉があります。私たちの群れにはどのような幻が与えられているのでしょうか。幻は、祈りと言い換えてもよいかもしれません。今度の東ブロック秋の集いのために「しおり」をつくりました。その最後のページに12教会と一伝道所の祈りの課題が記されています。
わたしたちの教会の祈りは、一つは「多様な人たちと一緒に礼拝ができますように。」です。富んでいる人、貧しい人、健康な人、弱い人、障がい者、外国籍の人、性的マイノリティなど、どんな人でも迎えて共に礼拝を守りたい、という思いが込められた祈りです。その具体的な現れは、入り口付近に7ヶ国語で「神は愛」と書かれた看板をたてました。点字の聖書と讃美歌の用意があります。礼拝には手話通訳が付いています。英語を話す人たちが自由に集まり、交わりを持つことができる教会をめざしています。
二つ目は、「隣地をお与えください。」です。この祈りは当面は駐車場が足りなくなってきていることでしょうが、その先に、わたしたちの教会がこれから歩みを進めていくための基礎になるのではないでしょうか。もう一つ、「次の世代の姿をお示しください」です。これはいま、Proj-IIを初め信徒会や様々なところで話し合い、考えているところです。
私たちは今置かれている場で、幻を掲げながら、一歩一歩歩みを進めていくことができるので、うれしいですね。教会の幻だけでなく、お一人お一人に神から幻が与えられて、その実現に向かって歩んでいけるようにご一緒に祈ってまいりましょう。