2023年1月8日 塩山宗満
使徒言行録 20章28-35節 (新約 254ページ)
パウロは、自分は「涙を流しながら、多くの試練に合いながらも主に仕えてきた。あなた方に役に立つことはすべて伝え、神の言葉を教えてきた。神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰の福音を証ししてきた(20:19-21)」と語っています。これが教会の、そしてそこに集められているキリスト者たち一人一人に与えられている務めではないでしょうか。そしてわたしたちもその務めに招かれています。仕えて、証ししていく、形はいろいろあるでしょう。求めていれば神がきっとそれぞれにふさわしい形の仕える場を備えて下さるでしょう。そして、与える大切さも覚えていかなければなりません。
皆さんとお話をしていると、ときどき「わたしは教会に対しても世に対しても、何もできません、何も与える物を持っていません」と言われるかたがいます。でもそんなことはありません。教会の様々な働きは皆さんお一人お一人の支えによって行われています。誰もが教会に対して、また神に対してお仕えすること、教会の仲間やわたしたちの周囲の人たちに「与えること」は出来ます。長いこと礼拝に出席することができなかった方が、この礼拝の席に座っておられると、礼拝にきた人たちに大きな喜びを与えてくださいます。一声挨拶を交わすだけで慰めが与えられます。花の日やクリスマスの時に何人かの方たちを、お花を持ってお訪ねしてきました。また、病気などで動けない・会えない人がいたとしても、祈って支えることはできます。何ができるかは、きっと神が皆さんに用意して下さっていて見つかるはずです。そしてその与えられた務めを果たしていきましょう。