2023年5月28日 三羽善次
イザヤ書 11章1-5節
今日は聖霊降臨日、ペンテコステの礼拝です。聖霊について考えようとする場合、聖霊とは何でないか、ということを確かめることが大事です。特に日本人は人の霊と神の霊を混同してしまうからです。
お盆になると日本では先祖の霊が家に帰ってくると言う民間信仰が根強くあります。古い家では今でも玄関に提灯に火を灯して、先祖の霊をお迎えしています。先祖の霊が家を守り、家族を守ってくれると日本人はぼんやりと思っています。新興宗教では自分の守護霊を持ちなさい、と勧めています。
しかし、聖書は人の霊が人に働きかける、人を守るということはどこにも言っていません。人の霊ではなく神の霊、聖霊が人に働き、人を生かすのです。聖霊によって人は開かれた者、人間らしいものになっていきます。狭い視野、あるいは偏見というものは閉じられた人間、閉じられた社会が生み出すものです。イザヤ書の中では聖霊は知恵と識別を与えると言います。正しく判断する、その力を聖霊が与える、と言います。また、聖霊はわたしたちに主を知り、恐れ敬うものに変えてくださる力があると言います。生ける神を知り敬う、それこそ人間らしい生き方です。そうでないと、人間は人間でなくなります。人間の知恵ではなく、聖霊が神への信仰、主イエスに対する信仰をはっきりと導いてくださいます。聖霊が弟子たちに降って伝道する勇気が与えられました。どんな困難にもめげずに伝道する勇気の霊が与えられました。そして全世界に教会が生まれ、今ここにもわたしたちの教会があります。わたしたちはこの霊に励まされ、後押しされて人生を生かされている喜びを証ししていきたいと思います。