2023年8月6日 塩山宗満
コリントの信徒への手紙一 15章12-21節
復活を信じることがむずかしいことは、今でも、2000年前でも同じです。コリントの教会にも、イエス様の復活なんかありえない、という人たちがいたようです。それに対してパウロはイエス・キリストの復活がなかったら私たちクリスチャンと言うのは最も惨めな人間だと言います。パウロはこの15章全体を通して、キリストの復活と、私たちの復活を述べます。「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。(15:20)」といって、キリストの復活が実際にあって、イエス様の弟子であったペトロやヤコブ、そしてわたし、パウロも復活されたイエス・キリストに出会ってそれまでの歩みをひっくり返され、自分はそのことの証人なのだと述べます。このキリストの復活が人間の復活の基本の形になっていて、同じように、私たちも復活するのだと語ります。
聖書が一貫して語っていることは、よみがえった私たちは新しいからだを持った存在として神との交わりの中で新しく生きることになるということです。神が用意してくださる新しい世界は私たちが今思いつくことよりももっと良いものであることを信じて、お任せしましょう。
永遠の命とは、わたしたち一人一人が神と主イエスがおられる場所に共にいることを赦されていること、そしてパウロが「つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。(15:44)」と語っているように、わたしたち一人一人のこの地上の体は、新しい霊のからだとしてよみがえるのです。