2023年9月17日 三羽善次
使徒言行録 9章1-9節
コスプレとか仮装によって、人は日常生活とは別の自分になれる楽しみを味わいます。ハロウィンの祭りも同じように、平凡な暮しの繰り返しを破って別の自分になりたい欲求を祭りにしたのでしょう。これら変身願望のパフォーマンスは、一時的な不満の解消にはなっても、自分自身を劇的に変え、その人生を全く新しくしたいという、心の底からの願いを叶えるものではありません。若い人よりむしろ年を重ねてきた熟年層の人に、実は「わたしを変えたい。変わりたい」思いは強いのではないでしょうか。
聖書のパウロの回心の記事は、その点で突然にして人生の方向が変わった出来事を語っています。パウロは自分を正しいとする熱心さから、クリスチャンを迫害することが神の御心であると勘違いしていました。その時「天からの光」が彼を照らし、神の御手が介入されたのです。パウロは主イエスに出会って、迫害者から福音を伝道する者へと変えられました。自分の意志で変わることより、神によって変えられることが大事です。自分の思いでなく、神様の御心を尋ね求めることがないとひとりよがりになり先走りしてしまうのです。誤まった熱心さほど恐いものはないことを、私たちは経験しているはずです。
わたしたち信仰者も日常生活に不満がくすぶることもあります。そんな時は、神様の恵みが見えていないのです。神様の「天からの光」が注がれていることを気づかなくなると、自分が何とか変えなければと思ってしまうのです。パウロは私たち主を信じる者が復活の主の体に造り変えられていくと語りました(Uコリント3:18)そのように主にあって最終的に変えられるべき姿が、わたしたちの信仰の希望です。