2024年2月18日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 11章17-37節
「イエスは涙を流された(11:35)」イエス・キリストが人間の悲しみに合わせて、わたしたちの傍らに立ち、一緒に泣いてくださる。何と深い慰めに満ちていることでしょう。イエス様はここで人々を悲しみに追い込む「死の力」に対して深い憤りをおぼえ、その力に対して戦いをされたのです。イエス様の怒りは、死の支配のもとに悩む人々への憐れみへと変わり、涙を流されたのです。
わたしたちの前に横たわっている死と言う暗闇に対して、イエス様ははっきりと「わたしを信じるものは死に打ち勝つことができる」と教えてくださいました。
人は創造者である神を忘れて、神のように振る舞い、罪を繰り返すものです。人はそのために死に対して不安とおそれを持っています。でも、神はその不安やおそれを乗り越えさせるためにこの世界に御子イエスを送ってくださいました。
信仰を持った私たちにとっても死は確かに存在しますが、それは不安なことではありません。この世での生活を日々神の導きによって新しく生きていくことが死に至る道筋なのです。時が来て自らの死に直面するときには、全能の神に全てをゆだね、地上の生から神の命へ移される厳粛なときと理解して良いのです。信仰を持った人の現実の生活は信仰によって生きてはいるのですが、苦しみ、痛み、悲しみは残されています。でも、主イエスの生涯を見て、その苦難の歩みが私たちのためであると知ったなら私たちは希望を持って、私たちに与えられた人生の歩みを「主よ、信じます」といいながら、歩んでいくことが出来、苦しみに出会ったときも希望を持って乗り越えていくことが出来るでしょう。