2024年2月25日 三羽善次
ルカによる福音書 12章32-34節
「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ(12:34)」と主イエスは言われます。わたしたちは自分にとって大事なもののそばに自分の心もあるのです。こどもから大人まで年齢によってさまざまな宝は違いますが、それに自分の心が捕らえられている点では同じです。福音書の中で、主イエスは繰り返し人間が共通して持っている宝について語られました。そしてその宝に縛られないようにしなさいと注意されました。
第一の宝は富です。「金持ちが天国に入るのは難しい」といわれましたし、この12:21では富を蓄えたものも神の前に富まなければ滅びると言われました。
もう一つ人間を縛る宝は家族です。主イエスはわたしより父母を愛する者はわたしにふさわしくない、と言われました。またイエスに従おうとする人が家族と別れの挨拶をしたいというと、主イエスは「そのようなものはわたしの弟子にはなれない」と言われました。
これらは大変厳しい、冷たく聞こえる言葉です。わたしたちはその生涯、いつも自分の生活の心配をしながら過ごしています。自分を配慮し、心を煩わせて生きています。主イエスが富や家族に対してここまでに厳しく言われるのはそれだけ人は富や家族に縛られて生きているからです。
宝にとらえられているその姿を主イエスの言葉を通して教えられます。人生の支えをその二つに置いている人間に対して、はっきり、そうではないと言われ、生けるまことの神に人生の支点を置きなさいと言われます。わたしたちの本当に生きる宝はそこにあります。その宝のあるところにわたしたち信仰者の心もあります。