2024年7月14日 塩山宗満
ペトロの手紙一 4章12-19節
明治時代になってキリスト教禁止の高札は撤廃されました。けれども実質的な迫害はその後も続き、第二次世界対戦終了まではキリスト者は非国民といわれ、迫害を受け続けました。
今のわたしたちにはどのような非難や迫害があるでしょうか。家族の中で一人だけがキリスト者の場合は、家族とのいろいろな摩擦が考えられます。日曜日に礼拝に出てくるだけでも大変でしょう。いや、家族みんながキリスト者であっても世のさまざまな予定やしがらみなどから礼拝に来ることはある種の戦いでしょう。でも、キリストの故の非難、中傷であればそのことを喜びなさい、さらに御名をあがめなさいとペトロはかたります。
日本のキリスト教会はカトリックもプロテスタントもどの教派も信徒は増えず、高齢化が進み、献身者が少ない状態が続いています。バプテストも例外ではありません。そんな中でわたしたちはどう歩んでいったらよいのでしょうか。
「だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。(4:19)」ペトロはキリスト者が苦しみを受けるのは神の御心によるのだ、と繰り返し語ります。重荷や苦しみはどんなことがあっても辛いものです。でも、それは神の御心による苦しみなのだから、自分の魂を創造主にお任せし神の守りによりたのみなさい、神が最善のことをしてくださると述べます。わたしたちにできることは神を信じ、信頼しすべてのことをゆだねて、この教会の歩みを進めていくことなのです。みんなでそれぞれができることを見つけ出し、主のために働いていこうではありませんか。