2024年8月25日 三羽善次
ヨハネの手紙一 4章16-21節
愛とか愛するという言葉は使い古されて、新鮮味を失っています。しかし、聖書の言葉を真剣に聴くとき、愛の力と重みを知らされます。
「愛は恐れがありません(4:18)」と言われますが、恐れとは不安であり、おびえです。不安やおびえから心が不安定になり、いらだちや攻撃心が出てきます。愛されていることを忘れると、孤立感にさいなまれ、そして恐れ、不安が出てくるのです。
神は愛である、と言う聖書の最も大事な言葉はあなたは神に愛されている、ということを語っています。わたしたちは愛されるために生まれ、生きているのです。そして、愛するために生まれ、生きているのです。だから、愛の大元は人間ではなく神にあるのです。人間の基から始まる愛は乾ききって求める愛です。執着して自分も相手も縛る愛です。
わたしたちが愛するのは、まず神がわたしたちを愛してくださったからです(4:19)」わたしたちは神の基から出る愛によってわたしたちを愛する者にされたのです。
そして、わたしたちはひとりの人を神に愛されている者としてリスペクト、尊び受け入れるところから具体的な愛が生まれ、愛が育ちます。
信仰者は主イエスの十字架の中に愛の究極的な愛の形を見ます。十字架の愛に支えられて、わたしたちは愛の深さ、重さを受け止め、愛する者に変えられたのです。愛こそはすべて、これはジョン・レノンの曲の題名からですが、すべては愛から始まり、本物の愛をわたしたちは必要としているのです。神の愛に促され、十字架の愛に生かされて具体的に生活の中で愛の証しをしていきましょう。