2024年9月8日 塩山宗満
創世記 2章1-17節
「これが天地創造の由来である。(2:4)」この言葉を境にその前と後では創造の物語の重点の置き方が違うように見えます。1章を中心とした部分では、神はとても秩序だてて、この世界をお創りになっています。一方でここから後のところでは神の創造の業の中で、人間に注目して、人をお創りになった神のご意志を明らかにしようとしています。1章では人間は宇宙、地球、植物、動物が創られ、最後に人間が創られていますが、2章では神はまず人間を創られ、その人間が生きていくための環境を整えて行かれます。そして、お造りになった人間に語りかけ、対話が始まるのです。
主なる神はエデンに園を創り、そこに人、アダムを住まわせられます。人がそこを耕し、守るようにされたのです。そして、園の中のすべての木から取って食べて良いという自由が与えられています。この前提の中で「ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。」という一点だけ禁止されているのです。
今日の聖書の個所2:17から、3:24までの中で、「禁断の実を食べ、ここに人類の罪が始まり、人は死すべき者になり、男性は労働によって、苦しみ、死に至るし、女性は子どもを産み育てるという苦しみに会うことだ」と教えられてきたかもしれません。けれども聖書を改めて読むと働くことは神がはじめから備えられたことであり、命が与えられたわたしたちには死は、神が備えられたことであり、こどもを産み育てることもはじめから、「生めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」と言っておられます。
ご一緒に創世記を読み進めながら、確かめていきましょう。