2024年9月22日 Daniel Dusza
ヤコブの手紙 1章12節
人生において、私たちはしばしば選択を迫られます。明らかに間違っているものもあれば、正しいと思われるものもあります。良い選択であれ悪い選択であれ、私たちはどのように神を待ち、間違った決断をしたと気づいたとき、どうすればいいのでしょうか?これを私は「救いのDIY」と呼んでいます。それはむずかしく、時に混乱し、そしてかなりの頻度で私たちはそれを間違えてしまいます。あなたは救いを与えられているのですが、ではどうしたらよいでしょう。
今日は、決断を下すこと、そして各人が罪に捕らわれたときに何が起こるかについて、ダビデとバテシバの関係、最初の人たちであるアダムとエバの関係を見てみます。
罪の報酬は死ですが、もし罪を犯したら、罪を告白して悔い改めなければなりません。その後、もう罪を犯してはなりません(ヨハネ8:11)。聖霊受け入れ、神を恐れて生き続けましょう。神の御前で罪を犯すなら、裁きを恐れて生きる以外に、どんな生き方があるでしょうか(ヘブライ10:26-27)。人間の罪は、神が私たちのために赦しを見いだせないほど大きなものではありませんでした。しかし、神への反逆でサタンに従うことを選んだ天使たちには、考えを変える機会は決して与えられません。聖霊を冒涜することは永遠に許されない罪なのです(マルコ3:28-29、ほか)。
ですから、自分自身にも、そして茂原バプテスト教会の皆さんにもお勧めします。オープンで正直になってください。クリスチャン・ファミリーには神の目的があり、私たちは自分の罪を告白し、祈り、悔い改め、救われ、永遠に救い主と共にあることができるのです。しかし、悔い改めるかどうかは自分次第なので、救いをDIYしなければなりません。