2024年9月29日 服部紘司
列王記下 4章1-7節
聖書には、たくさんの奇跡が記されていますが、私たちはそれらの奇跡を通して、今も生きておられる主イエス様の恵み、そして、その恵みにどのように応えて行けばよいのかを教えられます。
主の恵みは、私たちの欠乏の中で、明らかになります。そのため、主なる神様は、私たちの欠乏の状態をまず示されます。エリシャは、一人のやもめの女に対し、「何をしてあげられるだろうか。あなたの家に何があるのか言いなさい(2節)」と言いました。彼女が自らの欠乏を主の御手に委ねたところから、奇跡が始まりました。
主は、欠乏の中から求める私たちを、すべてにおいて満たして下さいます。それは、イエス様が、五千人以上の人たちを五つのパンと二匹の魚で養われた奇跡にも表れています。神様の恵みは、人間の理解や計算をはるかに超えて働きます。ここでやもめに与えられた油とは、神の霊である聖霊を指し示しています(イザヤ書61章1節)。
主は、聖霊の力によって私たちを満たし、用いてくださいますが、私たち自身は「空の器(3節)」であり続けることが重要です。与えられた恵みを主にお献げしてゆくことを通して、私たちはイエス様に倣う者として、用いていただくことができます。
フィリピの信徒への手紙2章6~9節「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました」