2024年10月6日 塩山宗満
創世記 2章4-9、15-18節
「2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」主なる神は土の塵から人を形作り、それだけでは生きたものとならないので、そこに神ご自身が鼻から命の息を吹き込み、そこで人は生きるものとなりました。人は、神からの命の息があってはじめて生きるものとなるのです。
世の男と女は出会い、ある人たちは結婚し、家庭を作り、子どもを産み育てます。子供を産む産まないに関係なく神はそれぞれの夫婦を祝福されます。一方、祝福に満ちた独身の生涯を送る人もいます。また、世の中には、いわゆる性的少数者といわれる人たちがいます。同性愛者、性同一性障害、などの人たちです。一部のキリスト教会はこれらの人たちを受け入れてきませんでした。教会の無理解と差別によって、教会から排除された人たちがいます。苦しみを経験してきた人たち、今も苦しめられている人たちがおられます。私たちが創造主なる神を差し置いて、神になりすまして、そのような人たちを裁くことは控えるべきではないでしょうか。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。(創世1:31)」」とあるとおり、どのようないのち、性に生まれてもそれは神がお創りになって「よい」と言われたものなのですから神の祝福の内にあるのです。
わたしたちは人間が神の像に似せて、神によって創られた者であり、神から自由を与えられています。そしてそれにとどまらず、与えられた環境を神の御心にかなって守っていく務めも与えられています。その務めを果たしていきましょう。