2024年10月13日 塩山宗満
創世記 3章1-24節
エデンの園では神が人に対して、「仕事を与え、どの木からも食べて良いと大きな自由を与え、そして神に従う証しとしてのたった1本の木の実だけは食べてはいけないという小さな禁止事項、制限を設けておられる」のではありませんか。
女にとって家庭を作って、こどもを生んで育てることは本来は祝福であるはずなのですが、神にそむいたことによって苦しみが伴うことになってしまいました。自由で対等の関係にあった男と女の関係も神の言葉に背いたために支配するものと支配されるものという関係になってしまいました。また、男には土を耕して食べ物を得る労働が義務付けられ、園のなかでは楽しみであった労働が、苦しみと苦労になってしまいました。そして、「ちりに過ぎないおまえは塵に返る」と言う、死への恐れが生まれました。
このように、神にそむいた出来事を起こしてしまってから人間は神が創造された本来あるべき姿を失ってしったのです。けれども、イエス・キリストが来られ、この地上で生き、苦しみ、十字架にかかり、そしてよみがえって、人間と神との関係を正してくださったので、私たちは主イエスを救い主と信じることによってこの罪から解放されることができるようになりました。このエデンの園での神と人との関係を回復することができるということです。男と女の関係も、支配し支配されるものから、もう一度対等のお互いを信頼しあい、お互いを助け合う存在にもどることが許されたのです。私たちも主イエスを中心とした、お互いに赦し合い、支えあう関係を作り上げることが出来るようになったのですから、そのように歩んでいきましょう。