2024年10月20日 飯塚道夫
ヨハネによる福音書 11章25節
「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。」
赤ん坊が生まれるということは、大きな喜びです。何をしても可愛い赤ちゃんの誕生はその家や周囲に笑顔をもたらします。
そのような喜ばしい事実の反対側にあるものは、死です。人間、死んだらおしまい。このように言う人がいます。確かに人間死んでしまえば、あの世にお金も地位も名誉も、何もかも持っていくことはできません。確かに「人間死んだらおしまい」かもしれないけれど、もし本当にそのような死生観を持つならば、どれほど恐ろしいことでしょう。自分が現実に死を目前にしたら、すべておしまいだという恐怖の時をずっと過ごさなくてはならないのです。
キリスト教では、私たちは死後、天国に行く。そして、そこでみんなと再会できると信じています。イエス様は、十字架にかかった後、三日後に復活されたと聖書に書いてあります。しかし、多くの人々にとっては、信じられない出来事なのです。
私は川崎市で、公立学校の教師をしていました。定年後、以前、中学校で教えていた時に不登校だった生徒から、突然メールをもらいました。
学校には登校することが極めて少なく、顔すら覚えていない彼が、今は聖公会の司祭になり、スコットランドで家族と共に留学中だというのです。彼に何が起こったのかを通して、じっくり考えてみたいと思います。