2024年12月1日 三羽善次
マタイによる福音書 1章18-21節
教会の暦では、本日からアドベント(待降節)に入ります。主イエスがこの地上に降りて来るのを待つことです。旧約聖書、新約聖書の「約」というのは、神が人と「契約」であり「約束」です。イエス・キリストの誕生がそれでした。
マリアは結婚前に子を宿しました。この異常事態は、マリアにとってもヨセフにとっても、世間に顔向けできないスキャンダラスな厄介な事になったのです。日本語では、「醜聞」と言えます。醜い、聞くにたえないことです。
ところが、主の天使が夢でヨセフのもとに現れ、神の御告げを伝えるのです。
「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのです」(20)「この子は自分の民を罪から救うからである」(21節)。ヨセフには何の決定権もないに等しいと言えるでしょう。つまり、神が主導権を握って、全ての事が人の思いを超えて先行しているのです。天使の救いの御告げは、他でもない主イエスの十字架の死を指しています。極悪人の処刑の仕方が十字架刑でした。
マリアが結婚前に懐妊したのがスキャンダラスな出来事だとすれば、イエスが十字架にかけられて死ぬこともスキャンダラスな出来事です。人間の良識から見ると耐え難い醜聞です。このスキャンダルという言葉は、もとはギリシャ語のスカンドロンから派生した語で、常識から外れている、人を躓かせるという意味があります。
救い主イエスが「聖霊によって」マリアの胎内に宿った事、十字架の死が罪の赦しの御業であった事、いずれも私たち意外な出来事を信じ、受け入れることが出来たのは、ただ信仰によってです。
教会の暦では、アドベントから一年が始まります。主の御手に導かれて、今日から始まる信仰者の新しい一年を、共に歩みましょう。