2024年12月8日 塩山宗満
マタイによる福音書 1章18-24節
主イエスのもう一つの呼び名、インマヌエルは、主が一緒にいてくださることを示しています。「神は我々と共におられる」それだけで、十分なのです。インマヌエルの主は神の愛を説き、その愛によって人々の罪のために十字架に掛かり、死んで、さらに復活をされ、天に昇って行かれました。そして、聖霊を送ってわたしたちに語りかけ、わたしたちを導き、わたしたちを励まし慰めてくださるのです。
マタイによる福音書にはアブラハムから始まる系図とイエス様の誕生の記事がまず記されています。そしてその最後には、よみがえって弟子たちに会われた主イエスの言葉が28章20節にこう記されています。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」インマヌエルの主イエスがこれからもずっとともにいてくださると言う約束の言葉で終わっています。マタイによる福音書は始めから終わりまで、「神は我々と共におられる」ことを語っているのです。
わたしたちの周りには様々な問題、例えば家族、仕事、貧しさ、孤独、病気などいろいろな困難を抱える人たち、また信仰に見切りをつけてしまっている人たちがいます。その人たちのことを覚えて、祈って、共にい続けていきましょう。わたしたち自身も同じように様々な困難や問題を抱えているひとりであり、まさに主イエスから「神が共に居られるから大丈夫だよ」と声をかけられている者なのです。
信仰とは疑いが一切ないような確かさ、というよりも、疑いのただ中にあっても確信する、信じて歩む、と言うものなのです。そのような歩みの中に、主イエスは共にいてくださり、ともに歩んでくださるのです。